今日二人目の相談者とのセッション中のことである。
この人物は数年に渡って、私のもとを訪れている。自分の中の否定的想念にさいなまれ、日常的には安定した日々を送りながらも,毎日悩み続けている。しかし、過去に私とのセッションの中で、あの絶対的なる祝福にふれる経験をし、それからというものは人生が随分と変わったようである。ところがここのところ、スランプに陥り,出口を見つけられずに苦しんでいた。
そして、今日という日を迎えた。
始めの数十分というものはそのスランプの出口を見つけようと、私も一生懸命だった。
ところが、ある瞬間それは突然、何の前触れも無くやってきた。
それは部屋全体を満たし,一瞬のうちにその相談者の意識を転換させた。
そこには先ほどまでいた弱々しく悩める人間ではなく、
人生の答えをしっかりと見つめる意識ある人間へと変わっていた。
そしてその力はしばらくの間この場所に留まり、
その後いつも通りの静けさへと変わっていった。
それが無くなったわけではなく、動から静に変わったのである。
相談者は元通りの意識の明晰さとともに喜びとともに私のもとを去っていった。
答えは存在している。
しかし、私達はその答えを拒絶している。
答えを拒絶する限り、その答えの恩寵に浴することは出来ない。
答えは、答えが在るということを受け入れることである。
そして、それを受け入れた時に、
答えは力をともなって私達の面前に現れるのである。
私達に必要なことは受け入れることである。
その為には受け入れることを拒絶するエゴをなだめなければならない。
そうしてエゴがおとなしくなり、受け入れることが出来れば、
それは確実にはっきりとした答えとして、
私達に自分自身を示してくれるのである。
答えの、その答えたる答えが
夕方のしじまの中を無限に広がっている。
昨日も、今日もそして明日も、
過去から未来にかけて、ずっと繰り返されていく
この夕方の光景。
一度として同じ光景は存在しない。
しかし、そこにはずっと同じ。
ただひとつの変わらぬ答えが存在している。
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